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- 築地町(近世)とは
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築地町(近世) 江戸期の町名油堀【あぶらぼり】川を中心に散在する24か町の総称元禄11年代官伊奈半左衛門・普請奉行深津八郎右衛門により当時寄り洲であった所を埋築元禄13~15年埋立地を町人が買い受け町屋が起立され,総称して築地町と称したはじめ東平野町・西平野町・亀戸【かめいど】町・大和町・宮川町・入船町・島田町・島崎町・扇町・茂森【しげもり】町・吉永町・山本町・西永町・三好【みよし】町・元加賀町・木場【きば】町の16か町を総称のち買請地・拝領地などにより伊勢町・石島町・末広町・六万坪町・六人屋敷・冬木町・一色【いしき】町・平野町の8か町を加える「備考」東平野町の項に「御拳場ニ而御鳥見方御用之節者築地町之内何町と相認御用相勤仕来申候」とある |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
築地町(近世) 江戸期~明治4年の町名熱田【あつた】の1町堀川と新堀川との合流点付近熱田3か浦の1つ大瀬子浦に属すこの辺りは寛永10年~承応3年頃に築出された所で,接待町・城ノ内という町もあった町の長さは須賀境から灯明場まで「築地浜通り」99間灯明場は,寛永2年成瀬隼人正正虎が,「為使往来之船有便于夜渡」に須賀浦に創建し,承応3年当地に移築したものである(徇行記)明治4年神戸【ごうど】町の一部となる現内田橋公園辺りか... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」